かゆみと私たち

1:かゆみはいつから

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Photo by amyelizabethquinn(Pixabay)

 「かゆい」という感覚はいつから芽生えるのだろう
 赤ちゃんは生後1か月くらいで自分の手で顔などにひっかき傷をつくったりします。これが単に手が当たってしまって傷になったものなのか、そこがかゆくて掻いたものなのかは、言葉が話せない赤ちゃんには尋ねることができないので、私たちは知る事が出来ません。しかし、痒みを感じるところを掻くという行動は「ひっかき反射」という反射反応のひとつで、私たちは意図せず行っていることがあります。このような反射反応による行動は、私たちの体に備わった本能的なものなので、赤ちゃんでも行える可能性はあります。
 「かゆいから掻く」ということが赤ちゃんの頃からできることなら、かゆみとは私たちにとって実になじみ深い、根源的な感覚のひとつだと言えますね。 

起源は「異物を取り除く」という防御行動
 反射反応には引っかき反射以外にも様々なものがありますが、その多くは長い生物進化の過程のなかで生存に有利に働いた行動であったために、脳に刻まれてきたものだと考えられています。しかし、掻くという行為は反射反応として組み込まなければならないほど、私たちにとって重要なことなのでしょうか。
 生物はみな生きる環境に適応することで生命を維持する道を開拓してきました。この適応というのは、その場や状況に合わせる、という意味もありますが、利用できるものは利用して、上手に有利に生きることに活かす、ということでもあります。したたかに生きてきた生物は、自らの生存戦略に他の生物を利用することがよくあります。他の生物を食べて栄養として摂り込む行為がその最たる例ですが、それ以外にも他の生物の生き方に便乗する、という方法もあります。ミツバチに花粉を付けて運んでもらう草花、動物の毛にくっつきやすい実を放って生息域を拡大する植物などがその例として挙げられるでしょう。しかし、もっとえげつないやり方で利用しようとするもの、たとえば命を奪ったり、寄生して弱らせたりするものも少なくありません。蚊のような昆虫をはじめ、病気のもととなるウィルスや細菌もそうです。体にくっついてくるものの中には、小さくても命を脅かす存在が潜んでいることがよくあるのです。有害なものか無害なものかを判断する前に、さっさと取り去ってしまっておいたほうが命を守る上で有利に働き、それがひっかき反射の起源となったと考えられています。

かゆいところを掻くと快感を感じる
 ところで、かゆいところがある時に、そこを掻けないと私たちは大変な不快感を感じます。この不快感の大きさは、すなわち、引っ掻くことを導いている「欲求」(1)、つまり「掻きたい」という気持ちの強さでもあります。反射反応がたどる脳や神経の経路には、私たちの意思や思考を差し挟む余地はほとんどないので、たいていはこの「掻きたい」という欲求の存在を私たち自身が認識する前に、手はかゆいところに向かっています。
 この欲求というのは脳が体の健康を維持したり、危険を回避したりするために発しているもので、様々な指令となって各部に伝わり、欲求を実現あるいは解消させるための行動を導きます。脳で発生した欲求が行動に結びつくには実に複雑なプロセスをたどるのですが、その過程は瞬時のうちに完了し、私たちが脳の求めにいちいち応じなくても無意識のうちに操られ、体は環境に合わせるようにコントロールされています。
 しかし、自ら手足を持たない脳が、神経や筋肉を介して肉体を操ることは実はとても大変なことです。そんな大変なことを常に行おうとしている脳は、目的が果たされると「ドーパミン」という物質を自分自身に与え、次に欲求が発生したときに、より円滑に神経伝達ができるよう、育てるしくみを持っています。皮膚を掻いているときも、欲求が果たされたときの脳の反応が見られ、脳内でドーパミンが分泌されていることがわかっています。
 このドーパミン、実は快楽ホルモンとも呼ばれる脳内ホルモンのひとつで、脳内の快感を司る回路「報酬系」に作用します。報酬系が刺激されると、幸福感や達成感といった私たちが「喜び」とする感覚が惹起されるといいます。皮膚を掻いているとき、ドーパミンが分泌されていることが確認されていますが、同時に報酬系が活発に活動していることも確認されています。つまり、皮膚を掻くとき、私たちは無意識のうちに心地よさ、気持ちよさを感じているのです。 (2) 
 快感を伴う行動は習慣化してしまいやすいとされています。実際、掻くという行為はクセになりやすいとされ、繰り返すうちに、かゆくもないのに皮膚を掻くような行為が習慣化してしまうことも多くあります。危険な異物をすばやく取り去る、という重要な意味を持っていた「掻く」という行為ですが、反面、過剰に行ってしまいやすいという側面も持っている、と言えます。

参考文献
(1)望月秀紀、柿木隆介「痒みの脳内認知機構」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/spinalsurg/30/1/30_53/_pdf
(2) 日東書院本社 小林 美咲 著「図解 がまんできない! 皮膚のかゆみを解消する正しい知識とスキンケア」P.20


2.掻き続けると皮膚は変わる

かゆみは異物侵入の危険性を知らせる警報
 「引っ掻き反射」は、人間に限らず、多くの動物にも見られることから、私たち生物がいかに体内への異物の侵入に警戒しているかがわかります。さらに引っ掻き反射を導く「かゆみ」という感覚についても、やはり異物侵入に備えた重要なシグナルであると言い換えることもできるでしょう。
 私たちがかゆみを感じるのは主に皮膚です。外界と直接接する器官である皮膚には、外の状況をすばやく察知するためのセンサーが無数に配置されていて、異物の付着や接触を知らせるような刺激をキャッチすると、神経を介して脳に伝わり、「かゆみ」と感じて引っ掻き反射という排除行動を導きます。

かゆみを伝える神経
 皮膚に配置されているセンサーは、実は「感覚神経」という神経組織の一部です。感覚神経は糸のように長い組織でその先端の一方は脳に接続し、もう一方は体の各部に向けて無数に枝分かれし、先端にセンサーを配して接続しています。皮膚のセンサーも感覚神経の末端部であり、その先は脳へと繋がっているのです。センサーがとらえた刺激は電気信号となって神経を伝わり脳で解析されますが、そのしくみのなかには、まだ解っていない部分も多く残されています。
 かゆみが認知されるしくみについてもすべてが解明されたわけではありません。しかし、これまで研究から感覚神経を構成するいくつかの神経線維のうちC線維とよばれる神経線維を介して脳に伝えられることが分かっています。C線維の末端にあるセンサーが拾った刺激が脳に伝わり、「かゆみ」となるのではないかと考えらています。

引っ掻き行為で痒みは増幅する
 「かゆみ」から導かれた掻く行為、すなわち掻破行動によって、無事、付着物が取れたとします。これで本来目的とする異物の排除は完了したことになるのですが、近年の研究で、この掻くという行為から、さらなる痒みが生まれ、かゆみが拡大するしくみがあることが分かってきました。
 C線維の末端には実はセンサーがあるだけでなく、神経伝達物質が格納されています。掻破による刺激は、C線維末端のセンサーを刺激するだけでなく、格納されている神経伝達物質を放出させることがわかったのです。この物質は、周りにある細胞を刺激して炎症をおこす物質を放出させたり、あるいはまた別のC線維を刺激したりして新たなかゆみを起こし、その範囲を拡大させます。このような痒み→掻く→さらなる痒みの悪循環は「イッチ スクラッチ サイクル」と呼ばれ、注意が促されています。前項でご紹介したように、掻くことでは快感も覚えますから、言ってみれば掻破という行為には中毒性があります。私たちは痒みの連鎖に陥りやすいといえるのです。たとえ皮膚に痒みを感じたとしても、そこに何もないのであれば、できるだけ掻かないほうがよい、というのが、現代の通説になりつつあります。

傷ついた皮膚組織ではC線維が伸びる
 痒みの悪循環に陥ってしまうと、ついつい私たちは皮膚を必要以上に掻いて傷つけてしまいます。傷ついた皮膚組織内では、壊れた細胞の成分が神経に作用し、神経線維を育てます。細胞が壊れた、ということは体を守るバリアが破壊されたことを意味しますから、異物や他の生物の侵入の危険性がより高まったと体は捉えます。すると、その箇所付近では神経が伸びてセンサーでその情報をいち早く拾おうとするしくみが発動するのです。
 本来、C線維末端のセンサーは皮膚組織のなかの、主に真皮層と表皮層の境界付近にある(1)とされています。しかし、繰り返し引っ掻かれた皮膚組織では、表皮層のなかの最も外側である角層のすぐ下まで神経線維が伸びているのが確認されています。この状態では侵入の情報は確かにすぐ拾えますが、ちょっとした小さな刺激も捉えやすくなり、いわゆる「敏感肌」と呼ばれる状態になります。

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