第6章 1:肥料革命で大きく変わった農業

第6章 「食べる」の未来〜人口増加と農業、地球環境
1:肥料革命で大きく変わった農業(1504一部改変)
新たな工夫や発明、また技術革新による幾度かの農業革命を経て、人類は土地や労力を最大限活かせるようになってきました。中でも、産業革命の煽りを受けた第四次農業革命で登場した「化学肥料」は、それまでの土地とそこに棲む人間や家畜をはじめとする生物の力に依存するしかなかった農業を飛躍的に変えました。
第三次農業革命以降、人類は、土地の生態系を最大限に活かした農業を、ほぼ完成させた、と言えます。その代表的な農法に三圃式農法がありますが、土地を3区画に分け、穀類栽培に用いる区画、家畜を放牧する区画、根菜類を栽培する区画です。
このサイクルで土地を次々に使って行くことで、土地が痩せることなく、家畜と収穫を維持することができました。この農法の確立により、イギリスでは余るほどの収穫を得て、輸出するほどになりました。また国内の食物受給率が安定し、人口爆発がおき、さらに人口の増加は産業の発展へと繋がり、やがて産業革命へと繋がって行きます。
このころ、多くの学問も発達しました。化学や、物理学、生物学など、現在にも繋がる多くの研究や発見がなされました。食を基盤とした安定した生活がこのような文化を発展させたのです。
そのなかで、ある画期的な証明がなされました。1898年、リービッヒによってなされた「植物の無機栄養」です。
それまで、植物は生物の屍骸や排泄物の腐敗したものを栄養として生長する、と考えられていました。しかし、リービッヒは研究の結果、植物の栄養は必ずしも有機物に頼っておらず、必要な成分が揃えば、土がなくても育つことを証明したのです。
1906年、ハーバーボッシュ法の開発で、窒素肥料が化学的に合成できるようになりました。
また、同じころ、鉱物資源から鉄鋼やエネルギーへと変える技術が開発され、多くの産業で、機械化が進みました。人畜の力を大きく超えた機械の効率を得たイギリスは、国力を一気にあげていきます。
農業に機械が導入されるようになると、家畜に使っていた土地は作物を作ることにあてられるようになり、増えた作物によって多くの人口を支えることができるようになりました。また、肥料は必ずしも動物の糞尿や、根菜類の根に棲む窒素固定細菌の手を借りなくとも、鉱山から掘削された硝酸塩や、リン石灰などの無機栄養分を与えれば、きちんと実りましたから、肥料の生産の手間もカットされたのです。労力、肥料の面で大きな役割をもっていたウマは大幅に減り、家畜は食肉用にのみ飼育されるようになっていきます。
化石燃料と無機肥料の活用で、土地は常に生産できる状態になり、多くの人材が農業から開放され、また農業の生産効率も格段に上がったのです。これにより、農業以外の産業も増え、人口はさらに増大することになります。
産業の発展は経済を活性化し、さらなる発明や技術革新はもてはやされ、華やかな時代となっていきます。
自由主義の浸透にともなって、貧富の差が生まれることにもなりましたが、人々は土地の世話から開放され、何にでもなれる、何でもできる自由を獲得したのです。
労働力も生産物も、化石燃料や鉱物などの地下資源に頼るようになった人類は、ここでついに生物であるにもかかわらず、食物連鎖を脱し、食べ回しの世界~生態系にすら属さないようになりました。
鉱山で掘削される硝酸塩や、化学合成で作られる窒素肥料によって、農業は、どんな土地でも可能になりましたし、その条件さえ満たせば、ほぼ間違いない量の収穫も望めるようになりました。
大きな土地をもつ地方や国では、その面積を活かし、広大な耕作地にし、管理もオートメーション化され、農業は工業化されていきました。
有り余る収穫は、輸出されるようになり、その国を支える重要な産業となっています。

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